マサキ君の家から帰ってきてからも、両先生のおかげで
とても快適な避難生活を送らせていただきました。
お風呂も銭湯に行ったのは結局初日の一回きりで、いつも
高橋先生の自宅でいれてもらっていました。
先生が18時30分頃店を出て自宅に帰り食事をしてから
20時くらいに迎えに来てくれるのです。そしてお風呂を
入り終わった私達をまた店まで送ってくれるのです。
送迎付きのお風呂(笑)。本当にありがたかったです。
先生の自宅に着くとまずは奥さんと二男が入る、そして次に
私と長男と長女が入る、といった順番で先生達より先にお風呂
を失礼していました。
子供達もすっかり両先生に懐いていて、ある時など子供達を
先にお風呂からあげて、後から私があがってリビングに行くと
長女がトシオ先生の膝の上に座って髪を乾かしてもらって
いました★
また別な時は、お風呂からあがってリビングに行くと、長女が
トシオ先生に腕枕されて寝っ転がりながらテレビを見ている・・
「眠いらしいんだけど、今テレビでやっているリロアンドスティッ
チを見てから帰りたいんだって」
とトシオ先生。。
もうほとんど本当のじーちゃんと孫してました(笑)。
二男もマチコ先生に懐いて
「しぇんしぇ!しぇんしぇ!」
と呼んで、抱っこしてもらうと離れないし。
実の孫以上にかわいがってもらったのではないでしょうか・・
雨の日は外で遊べなくて退屈するといけないから、と言って
ビデオデッキを持ってきてくれるし、とにかくいろいろ面倒を
見てくれました。
そんな何不自由ない穏やかな毎日の中でいつも考えていた
ことはやっぱりいわきのことでした。
東京での修行を終えいわきに帰ってからこんなに長い期間
いわきから離れたことはありませんでした。
店のこと、お客様のことが頭に浮かんでは消えの繰り返しで
気になって仕方ありません。
原発で働いているあのお客様は無事だろうか・・・
家が海沿いだったあのお客様は大丈夫だったかな・・・
そんなことばかり考えていました。
避難する前に父には店の鍵を預けておきました。
父は毎日見回りしてくれて、水が出たかどうかなどチェック
してくれていました。
その父から「店の水が出た」との電話がきました。
28日の朝でした。
東京での避難生活が終わりを告げようとしていました。
2011年05月12日
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